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ネットで見つけた。感想書いた。

古い呼び名がある世界の都市

東京が昔は江戸という名前であったことは、誰もが知っていることでしょう。

徳川幕府が倒され260年続いた江戸時代は終わり、明治時代の始まりとともに江戸は東京と呼ばれるようになりました。もちろん東京だけでなく、明治政府による廃藩置県により日本中にあった藩は現在の都道府県の元祖といえる県になっています。

 

そこで海外にも目を向けてみて、過去に名前が変わった世界の都市について歴史を調べてみました。

ここでは特に目を引いた世界の3都市について紹介します。

 

 

 

アメリカ ニューヨークシティ

ニューヨーク

現代のニューヨーク By Nicholas Hartmann (Own work) [CC BY-SA 4.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons

 

もともとアメリカがイギリスの植民地だったことはよく知られていますが、歴史的にはミシシッピ川より西側はフランス領でしたし、ディズニーワールドがあるフロリダはスペイン領でした。また、ニューヨークシティも周辺のニュージャージーコネチカットを含めてオランダの領地だったのです。

そして現在のニューヨークシティがあるマンハッタンは、ニューアムステルダムと呼ばれていました。

 

きっかけは1609年、イギリス人探検家のヘンリー・ハドソンがマンハッタン沖からその西側にある川をのぼったことで、オランダがこの地域に興味を示します。

ちなみにこの時ヘンリー・ハドソンが見つけた川が、クリント・イーストウッド監督の映画「ハドソン川の軌跡」などでも有名なあのハドソン川です。

 

そして1626年、オランダ西インド会社のピーター・ミニュイットが歴史的な不動産取引をします。現地のネイティブアメリカンの部族からマンハッタン島を買い取ったのです。

値段は当時のオランダの通貨で60ギルダー。ある検証によれば現在の24ドル(3000円弱)相当でしかない格安の買い物だったという話もありますが、オランダ人がヨーロッパから持ち込んだ様々な道具が渡されているため、ネイティブアメリカンにとっては有意義な取引だったとする考え方もあります。

また、この時取引をした部族が誰だったのかは詳しくわかっていません。一説にはマンハッタンにいる部族ではなく、隣のブルックリンの部族と取引したために格安でもネイティブアメリカン側には失うものがなかったという話もあります。さらに、そもそもネイティブアメリカンにはお金で土地が買えるという概念がなかったのではないかという議論もあります。

ニューアムステルダム

ニューアムステルダムの様子

 

かくして、マンハッタン島の南端がニューアムステルダムというオランダの入植地になりました。この時オランダ人はニューアムステルダムの北側にネイティブアメリカンの侵入を防ぐための壁(ウォール)を設置しています。そしてこの壁があった場所が現在の国際金融の中心地ウォール街となったのです。

 

その後1664年になると、イギリスが軍隊を派遣してニューアムステルダムを占領し、名前をニューヨークへと変えるのでした。

 

 

 

 

 

 トルコ イスタンブール

イスタンブール

現代のイスタンブール

 

イスタンブールといえば、ヨーロッパとアジアにまたがる位置にあり両方の文化の影響を受けている都市ですが、大昔からその地理的な重要性には多くの権力者が気付いていました。

 

最初の話はギリシャ神話にまでさかのぼります。紀元前7世紀ごろポセイドンの子で古代ギリシャの王ビザスがこの地が地理的に重要な場所であることから都市を築いたのが始まりで、彼の名をとって都市はビザンチウムと名付けられたとされています。

 

その後、紀元300年頃にビザンチウムローマ帝国の一部となり、330年には皇帝コンスタンティンによってローマ帝国の首都がこの地に移され、都市の名前も彼の名前からコンスタンティノープルに変えられます。

ローマ帝国は395年には皇帝のテオドシウスが死去したため東西に分裂し、コンスタンティノープルは続いて東ローマ帝国の首都となるのですが、東ローマ帝国時代もやはりヨーロッパとアジアにまたがる地理的な利点から交易や外交の拠点となり発展を続けます。

しかしそれは同時に諸外国にとっても大きな魅力であったため、その後数百年にわたってコンスタンティノープルは絶えず侵略者の攻撃を受け続ける運命にありました。中でも第四次十字軍は本来の目的である聖地エルサレム奪還に向かわずにコンスタンティノープルを侵略し、1204年にはコンスタンティノープルは続いてラテン帝国の一部になります。しかしラテン帝国はもともと一枚岩ではなくすぐに弱体化してしまい1261年に街は再び東ローマ帝国に取り戻されます。

 

コンスタンティノープル

1400年代のコンスタンティノープル

 

これに続いたのはオスマン帝国でした。

当時周辺の国を次々と侵略していたオスマン帝国が、再三にわたる他国の攻撃により弱体化していたコンスタンティノープルを完全に包囲。補給路を断った上で総攻撃を仕掛けて、1453年にはオスマン帝国東ローマ帝国を滅ぼしてコンスタンティノープルを手に入れます。すぐに街はオスマン帝国の首都とされ、名前はここでついにイスタンブールに変わりました。

オスマン帝国はそのまま第一次世界大戦まで続きますが、1918年には連合国に降伏しオスマン帝国は滅亡。トルコ共和国が誕生します。

こうして、イスタンブールは現在我々の知るトルコの一都市となったのでした。

 

ちなみに、数々の帝国が首都を置いたイスタンブールですが、トルコの首都はアンカライスタンブールは首都ではありません。

 

 

 

 

 

ベトナム ホーチミン

ホーチミン

開発が進むホーチミンシティ trungydang [CC BY 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], via Wikimedia Commons

 

ベトナム南部の都市ホーチミン。この街は1975年までサイゴンという名前でした。ホーチミンは人の名前で、同名の共産党のリーダーから取られています。

 

それはベトナム戦争当時のこと。今ではソ連の崩壊や中国が資本主義経済を取り入れるなど共産主義は失敗に終わったと理解されているわけですが、歴史的には共産主義側が勝ったこともありました。

1954年、ホー・チ・ミン率いる共産主義組織ベトミンは、古くは日本、最終的にはフランスによるベトナムの植民地支配からの独立に成功し、北ベトナム共産主義国家となります。

ホー・チ・ミンは、そのまま共産主義国家として南北ベトナムの統一を目指し、資本主義の南ベトナムとの間で戦争になるのでした。

当時は冷戦まっただ中で、この戦争はソ連 対 アメリカ、共産主義 対 資本主義の代理戦争となり泥沼化した後1973年にはアメリカ軍のベトナムからの完全撤退が決まります。そうしてアメリカ軍による南ベトナムへの支援がなくなり、1975年になると北ベトナム軍が南ベトナムの首都だったサイゴンにまで到達し戦争の終結は時間の問題となりました。最終的にはサイゴンに残っていた大使館関係者などのアメリカ人や資本主義者の南ベトナム人たちが軍のヘリコプターで沖合に待機していたアメリカ軍空母に脱出。サイゴンは陥落し、南北ベトナム共産主義国家として統一されました。

こうしてアメリカが戦争に負けるという衝撃的な結末と共に、陥落したサイゴンホーチミンシティへと名前を変えたのでした。

ベトナム戦争

アメリカ軍空母USSミッドウェイに避難してきた人々

 

しかし驚くべきことに、このような背景で名前が変わったにもかかわらず、現在ベトナムの人たちはサイゴンホーチミンシティという呼び名を厳格に使い分けてはいないようです。政治的な意図なしにサイゴンという名前は普通に使われているようです。

 

 

 

 

 

さて、今回紹介したどの都市も激動の歴史の中で名前が変わっていました。

次に名前が変わるのは世界のどの都市で、いったいどんな出来事がきっかけになるのでしょうか。 

 

 

 

Reference;

Untappedcities:http://untappedcities.com/2015/05/06/today-in-nyc-history-how-the-dutch-actually-bought-manhattan-the-long-version/

ThoughtCo:https://www.thoughtco.com/istanbul-was-once-constantinople-1435547

CultureTrip:https://theculturetrip.com/asia/vietnam/articles/ho-chi-minh-city-vs-saigon-whats-in-a-name/