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ネットで見つけた。感想書いた。

天体観測から戻ったら死んだと思われていた男

18世紀ヨーロッパで太陽系の大きさを推定するため、イギリス、オーストリア、フランスの天文学者が世界の別々の地点から金星が太陽の前を通過する瞬間を観測することとなった。南アフリカシベリア、北アメリカ、インド洋、南太平洋、中米からの観測である。

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この時、南太平洋へ向かったイギリスのクック船長は今でも有名だが、インド洋に向かったフランス科学院の天文学者ギヨーム・ル・ジョンティ(Guillaume Le Gentil)は不運に見舞われることになる。
 
1761年に起こる金星の太陽面通過を観測するため、1760年3月ル・ジョンティはフランスを出発して同年7月にフランス領モーリシャスへと到着した。彼はさらにそこからインドにある同じくフランス支配下の街ポンディチェリーへと向かうつもりだった。ところが、フランスからモーリシャスへの航海の途中でイギリスとフランスの間で戦争が勃発してしまい、彼がモーリシャスに着くと足止めを余儀なくされてしまった。ようやくポンディチェリーに向けて航海を始めると今度はモンスーンにより漂流。おまけに、そうこうしているうちに目的地のポンディチェリーはイギリスに制圧されてしまったため、ル・ジョンティは金星の太陽面通過を揺れる船の上から観測することとなってしまった。揺れる船の上では正確な観測ができず、この航海は失敗に終わった。
 
 
二度目のチャンス
船での旅が命がけだった18世紀にフランスからインド洋に赴き、目的を達成できないだけでも十分不運だが、ここで彼の下したある決断はさらに彼を不運へと導くことになる。
次に金星が太陽の前を通過する8年後の1769年までインド洋に残ることにしたのだ。次の次は100年後になるため、彼にとって金星の太陽面通過を観測できる最後のチャンスである。
 
ポンディチェリーはイギリス支配下になっていたため、彼は次の観測にはスペイン領フィリピンにあるマニラこそ最良の観測地点になると考えて、1766年5月マニラへ向けて出発し8月に到着する。しかし、スペインは到着したル・ジョンティをスパイとして疑い、彼はポルトガル船でマニラを脱出するハメになる。
この時彼はあることを知る。ポンディチェリーが再びフランスの支配下に戻っていたのだ。そこで次の観測はポンディチェリーで行うことにし、1768年3月ついに当初の目的地だったインドのポンディチェリーに到着することができた。
ポンディチェリーでは歓迎を受け、観測所の場所も自由に選ばせてもらい1769年6月の天体イベントに備えた。
そしていよいよ金星の太陽面通過前日の夜、雲ひとつない夜空で木星観測を楽しんだル・ジョンティ。天体観測に理想的な条件が整い、翌日には長年の苦労が報われるはずだったのだが。
 
 
 

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当日は、曇りだった。
結局、彼が金星の太陽面通過を見ることはなかったのだ。
 
 
そして帰国
皆既日食にしろ流星群にしろ天体観測にとって天気は避けようのない問題だが、落ち込んだル・ジョンティはそのままそこで数週間を過ごした後、1770年3月ようやく帰国の途に着く。しかし、嵐により船が損傷しモーリシャスで足止めされてしまい、フランスへ向けて再出発できたのは1771年3月になってからのことだった。嵐の中なんとかスペインにたどり着ついたル・ジョンティは、そこから陸路でフランスへと向かい1771年10月ついに帰国を果たす。
最初にパリを出発してから実に11年6ヶ月後のことである。
 
ようやくパリに戻ったル・ジョンティであるが、不運はまだ続く。
なんと彼は死んだと思われており、妻は別人と再婚、財産はなくなり、フランス科学院の彼のポジションには別の人物が就任していたのだった。
 
 
 
みなさんも仕事からの帰りが遅くなるようなら、家族に連絡することをお勧めします。
死んだと思われないためにも。 
 
 
 
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