日本からハワイまで3時間の速さ コンコルドの引退と超音速旅客機の復活
以前当ブログで紹介したように、ジェット旅客機の巡行スピードは実は50年前から全く速くなっていないため海外旅行のフライト時間は一向に短くなりません。しかしこれには例外がありました。
1976年から2003年までブリティッシュエアウェイズとエールフランスによって運行されていたコンコルドは、音速の2倍の速さで飛行していました。つまり今のジェット旅客機の半分の時間で目的地まで行けたのです。成田空港からハワイのホノルル空港までたった3時間で行ける飛行機があったということです。
なぜ超音速旅客機は空から消えたのでしょうか。
コンコルドの開発
1960年代から70年代は宇宙開発競争と同じく、航空機の世界でもアメリカ、ソ連、イギリス、フランスによって音速よりも速く飛べる旅客機の開発競争が行われていました。この中で最も成功したのが、イギリスとフランスによって共同開発された超音速旅客機コンコルドです。アメリカは途中で開発を断念し、ソ連は独自の超音速旅客機をたった55回の定期運行で終了させたため、実質的には世界で唯一の超音速旅客機でした。
コンコルド By Richard Vandervord [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons
イギリスのBAC(British Aircraft Corporation)とフランスのエアロスパシアル(Aerospatiale)は、 両国で超音速旅客機の開発を競うのではなく協力するという決定のもと、1962年に共同開発をスタートさせます。航空機の名前は英語とフランス語の双方で「調和」を意味するコンコルド(Concorde)になりました。
こうして英仏の協力で開発されたコンコルドは1969年のパリエアショーでデビューし、世界中の航空会社から74機を受注します。
開発当事国であるイギリスのブリティッシュエアウェイズとフランスのエールフランスの他にもアメリカからパンナムとユナイテッドがそれぞれ最多の6機をオーダー。その他にはカンタス、エアカナダ、ルフトハンザなども含まれていました。実は日本航空もこの時に3機をオーダーしています。
ところが、1973年のパリエアショーでコンコルドのライバルであるソ連の超音速旅客機トゥポレフ Tu-144がデモンストレーション飛行中に墜落するという大惨事を起こしてしまい、世界中で超音速旅客機に対するイメージが悪化します。
ソ連のTu-144
また、オイルショックにより燃料費の高騰が懸念されたことやソニックブームと呼ばれる超音速機特有の轟音により海の上空でしか超音速飛行が許されなくなるなどコンコルドにとっては不利なことが次々と起こった上、機体の価格が当初よりも上昇したため受注キャンセルが殺到します。最終的にコンコルドは6機の開発用プロトタイプと14機の商業利用機という合計20機が製造されただけになってしまいました。
それぞれ7機を導入した唯一の購入者であるブリティッシュエアウェイズとエールフランスさえも購入に前向きではなかったものの、超音速旅客機の開発は国家プロジェクトであったためにイギリスとフランス両政府の意向により購入せざるを得ませんでした。
しかしこうした理由により、例えばブリティッシュエアウェイズはコンコルドを1機あたり1ポンドで購入。実質的にコンコルドの費用は税金でイギリス政府により肩代わりされていました。
コンコルドは利益が出なかったという話はよく聞きますが、少なくとも当時1機あたり5500万ポンドする機体をブリティッシュエアウェイズは実質タダで手に入れていたので、その点では決して悪い商売ではなかったはずです。実際コンコルドのチケットは同ルートを飛ぶ最安のチケットより30倍も高額で、ピーク時にはブリティッシュエアウェイズの利益の20%が、たった7機のコンコルドからもたらされていました。
コンコルド By Ralf Manteufel (http://www.abpic.co.uk/photo/1146802/) [GFDL 1.2 (http://www.gnu.org/licenses/old-licenses/fdl-1.2.html)], via Wikimedia Commons
コンコルドの機体
一目で気がつくコンコルドの外見上の特徴はデルタウイングと呼ばれる三角形の翼でしょう。
コンピュータシミュレーションが無い時代に模型で風洞試験を繰り返した結果、超音速で飛行するにはギリシャ文字のデルタのような翼の形状が有利であることが分かっていました。この翼の形状はコンコルド以前の超音速軍用機であるロッキード社のスターファイターなどで既に採用されていたものです。
しかし、この翼の形状では着陸時には機体を斜めにして揚力を稼ぐ必要があるため、斜めの状態でコックピットから滑走路が見えるようにコンコルドの先端は可動式になっており、これももう一つの特徴になっています。
コンコルドの可動式ノーズ By Eduard Marmet [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0), CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
エンジンはロールスロイス製のオリンパスと呼ばれるターボジェットエンジンを4つ搭載しており、離陸時と飛行後の加速時に20%推力を上げることができました。
この強力なエンジンは地上で推力を最も落とした状態でもコンコルドを前に進めてしまうほどのパワーだったため、常に車輪にブレーキをかけてコントロールする必要がありました。そのためコンコルドの車輪にはブレーキ冷却用のファンが付いていたほどです。
また、超音速飛行中でもエンジン内に入ってくる空気の速さを音速以下に落とせるようにエンジンのダクト前面は可動式になっていました。
使う燃料の量も桁違いで、2トンの燃料が滑走路に行くまでに使われ、燃料タンクの半分は離陸してから最高速のマッハ2に到達するまでになくなってしまいます。
また、超音速飛行時には機体の後ろ側に揚力の中心がずれてしまいそのままでは機体が前のめりになってしまうため、一部の燃料は機体後部のタンクに移してバランスを取るために使われました。
特徴的なデルタウイングとオリンパスエンジン By Mike Freer - Touchdown-aviation [GFDL 1.2 (http://www.gnu.org/licenses/old-licenses/fdl-1.2.html)], via Wikimedia Commons
その他にも、コックピットの操縦桿は物理的に油圧システムなどにつながっているわけではなく電子信号として処理されるフライバイワイヤシステムを採用していたり、自動で着陸することができるなど超音速飛行以外の面でも60年代当時としてはかなり先進的な設計でした。
飛行ルート
最も典型的なコンコルドの運用ルートはヨーロッパからアメリカ東海岸へのルートでした。ブリティッシュエアウェイズであればロンドンのヒースロー空港からニューヨークのJFK空港までのルート。エールフランスの便も同じく典型的な行き先はニューヨークでした。航空機が音速を超える際に発生するソニックブームという轟音が問題となり、多くの国の上空で超音速飛行が許されていなかったのと、先にも触れた燃料の消費量の問題で大西洋は横断できても太平洋を横断することはできなかったのです。
ロンドンのヒースロー空港を飛び立ったコンコルドは西に向かい、海上に出るまでは音速以下のスピードで飛行しながら一般的なジェット旅客機のように高度22000フィートまで上昇を続けます。そしてひとたび海上に出ると航空管制はコンコルドの進路上に他の航空機が入らないようにして、超音速まで加速する許可が下りることになります。
この際エンジンはアフターバーナーで20%出力を上げた状態で運転されるため15分という時間制限があるのと超音速に達する前の中途半端な速度域では飛行が不安定になるため超音速への加速は一気に行われる必要があったのです。
そして速度がマッハ1.75、高度が43000フィートに達した時点でエンジンの出力は戻されますが、そのまま勢いに乗ったコンコルドは最終的にマッハ2、高度50000フィートにまで到達します。その後は燃料を使った分だけ機体は軽くなって上昇を続け、一番高いところで59000フィートにまで達します。
このようにコンコルドは空気がかなり薄い通常のジェット旅客機の倍にもなる高度を飛行しているとはいえ、最高速に達した際の空気との摩擦で機体表面は摂氏120度を超えるほどの温度まで上昇します。それに対して機体の限界温度は127度だったため、その温度を超えないようにコンコルドのスピードは自動調整される仕組みになっていました。また、この時熱せられたコンコルドの機体は全体で20cmほども伸びるため、客室はローラーの上に乗った構造になっており、機体が伸びても客室には影響がないような工夫がされていました。
コンコルドの客室 Daniel Schwen / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
圧倒的なスピード
コンコルドのマッハ2というスピードは、なんと地球の自転よりも早いスピードです。
それをもっとも体感できたのが、ヒースロー空港18:25発でJFK空港17:00着の便でした。18:25に日没後のロンドンを暗闇の中飛び立ったコンコルドは、全体の2/3ほどの行程を飛行したところで先ほど沈んだ太陽に追いついて周りが明るくなってきます。そして到着したニューヨークで再び日没が訪れるのです。
このように圧倒的な速さだったため、コンコルドのチケットを購入した顧客は超音速ではない別の飛行機に振り替えるわけにもいかず、ブリティッシュエアウェイズもエールフランスもJFK空港に万が一のためにバックアップのコンコルドを待機させていました。
運用終了
さて、冒頭で記した通りコンコルドは既に運用が終了して引退しています。
こうして空からは超音速旅客機が消えて、ロンドンからニューヨークへのフライト時間はふたたび倍の長さに戻りました。
なぜ、人類は一度実現した夢の超音速旅客機を手放すことになったのでしょうか。
基本的に2003年に引退したコンコルド自体は老朽化が原因です。1960年代から使われた機体をこのままずっと使い続けるのは無理があります。ではなぜ新しい機体を導入して運用を継続しないのかといえば、単純にコンコルドはもう生産されていないからです。そして、14機しか売れなかったコンコルドに続く次世代の超音速旅客機も開発されなかったのです。
最大の問題はやはり音速を超えて飛行する際に発生するソニックブームと呼ばれる轟音でしょう。海上でしか超音速飛行ができないので、例えばアメリカを横断するニューヨークからロサンゼルスへの便といったルートに超音速旅客機は使えません。航空会社からすると非常に使いづらい飛行機です。
だからこそ、NASAが今でも研究しているのはソニックブームの低減方法なのです。
将来
さて、コンコルドは引退しましたが、将来に向けては日本のJALやイギリスのヴァージングループなどが出資するBoom technologyというベンチャーが超音速旅客機を開発中です。
1960年代には既に実現されていたわけですから、新しい超音速旅客機を開発することは可能でしょう。しかし問題はいつも、どれだけ普及するかです。14機しか売れなかったコンコルドが消えていったように、どんなに優れた技術も普及しなければ消えゆく運命にあります。
ちなみに、JALは既にBoomの超音速旅客機20機を予約しているそうです。
日本からハワイまで3時間で行ける日はやってくるのでしょうか。
さて興味を持った方は、コンコルドが出てくる映画「エアポート’80」もチェックしてみてはいかがでしょうか。
Reference;
Captain Joe:https://youtu.be/JgAvxvDRg6c
Vox:https://youtu.be/a_wuykzfFzE
Wendover Productions:Why Planes Don't Fly Faster - YouTube