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サラリーマンがネットで見つけたネタに対する感想

イギリス対フランスの戦いだった? なぜ左側通行と右側通行の国があるのか

近年、日本では輸入車の販売が好調というニュースがよく伝えられています。
日本自動車輸入組合の統計によると、日本メーカーが海外工場から輸入した車を除いた、いわゆる外車の販売は2017年に過去最高の30万台を記録して以降2018年も30万台を記録、消費税が上がった2019年の輸入台数も前年比ほぼ横ばいの29万8千台を記録したそうです。
ちなみに、ヨーロッパ各国の自動車販売台数は、スウェーデンが36万台、オーストリア33万台、スイス31万台、チェコ25万台、デンマーク23万台となっており、日本では欧州中堅国と同程度の台数の外車が販売されていることになります。また、日本では輸入車のうち半数の約15万台が400万円以上の高価格帯車だといいますから、海外メーカーにとって大きくはないものの無視もできない市場となっています。先日もプジョーシトロエングループ傘下のオペルが日本市場への再参入を表明していました。
 
さて、そんな外車と聞いて思い浮かぶのはハンドルの位置ではないでしょうか。
日本では車の右側にハンドルが付いていますが、海外の多くの車は左側にハンドルが付いています。

左ハンドル

 

 

右ハンドルと左ハンドル
現在世界の約3分の1の人々が日本と同じ右ハンドルの車で左側通行をしています。日本以外の国としては、イギリスとかつてその植民地だった、オーストラリア、ニュージーランド、インド、南アフリカなどに加えて、インドネシアやタイなどの国です。そして、それ以外の3分の2にあたるアメリカ、中国、ヨーロッパ諸国などが左ハンドルの車で右側通行をしているのです。
ところが、車が発明される遥か前には世界中で日本やイギリスと同じ左側通行の方が一般的だったのです。
 
 
 
人々がまだ馬に乗って移動していた時代
自転車でもバイクでもそうですが、世の中の大半を占める右利きの人にとって馬の左側で乗り降りする方が容易です。そして日本のタクシーをイメージすると分かり易いですが、乗り物の左側で乗り降りが行われる場合は左側通行の方が適していることがわかります。もし右側通行で乗り物の左側から乗り降りを行うと道の真ん中に向かって乗り降りすることになり非常に不自然です。
それに加えて、例えばヨーロッパの騎士をイメージすると、右利きの騎士は体の左側にソードなどの武器を携えているので、右側通行だと道でのすれ違い様に相手に武器が当たるということが起こり得ます。日本のサムライでも同様ですが、これは絶対に避けなければいけない事態だったはずです。
そのため人々が馬を使って移動していた時代には、世界中で日本と同じ左側通行の方が一般的でした。
 
 
幌馬車の影響
最初に変化が訪れたのは、1700年代のことです。
アメリカでコネストーガ幌馬車という巨大な馬車が使われるようになりますが、この乗り物は馬車の側に人が乗るスペースはなく、幌馬車を引く6頭のうち左後方にいる馬に直接乗って馬車を操るというものでした。右利きの人にとって鞭を打つのにもっとも良いのがその位置に乗ることだったからです。
そしてこのコネストーガ幌馬車の場合は、逆に右側通行の方が都合がよかったのです。今でも車でバックする際に運転席のドアを開けて後ろを直接見る人がいますが、幌馬車で直接目視できるのは馬車の左側です。そのため、巨大なコネストーガ幌馬車が向かいから来る馬車と接触せずに通過することを目視で確認するために右側通行が好まれました。

コネストーガ幌馬車

左後方の馬に乗って操るコネストーガ幌馬車
 
左側通行と右側通行
同時期のヨーロッパでは、フランスでナポレオンが左利きだったため右側通行を好んだという説やフランス革命で自由を得た民衆が従来と逆の右側通行をはじめたなど理由は定かではありませんが、フランスから右側通行が広がっていきます。ナポレオンがヨーロッパで勢力を広げた際に、このフランス式の右側通行が多くの国で強制されました。これによってベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、スイス、ドイツ、ポーランド、そして、イタリアとスペインの大半の地域は右側通行となりました。しかしナポレオンに対抗していたイギリス、ポルトガル、オーストリア=ハンガリー帝国は左側通行を維持したため、それ以降100年以上にわたってヨーロッパは右側通行と左側通行が混在することとなったのです。
世界のその他の地域も、このイギリス対フランスという帝国同士の対決の様相を見せます。先述の通りイギリスの植民地は左側通行を取り入れ、フランスの植民地は右側通行となりました。インドはイギリスの植民地のため左側通行となりましたが、フランスが支配していたゴアについては右側通行でした。カナダでは、イギリス側のブリティッシュコロンビアが左側通行なのに対して、フランス側のケベックは右側通行でした。
インドネシアは、オランダの植民地となった際に左側通行となりました。これはオランダがフランスの右側通行を取り入れる前の出来事です。
日本は、イギリスにもフランスにも植民地支配は受けませんでしたが、イギリスの影響を強く受けました。日本は鉄道の技術をイギリスから輸入したため、路面電車が左側通行だったのです。その後、1924年に法律で左側通行が明記されています。
 
ところが1920年代以降は、左側通行の国が右側通行に切り替える例が相次ぎます。
カナダ全土がアメリカに合わせて右側通行になったのをはじめとして、ポルトガルも右側通行に切り替えます。スペインでは、左側通行を続けていたマドリッドが右側通行に切り替わり、イタリアでもローマ、ミラノが右側通行となり、これらの国は右側通行に統一されました。
1930年代にはオーストリアがナチスドイツの侵攻により、一夜にして右側通行への切り替えを命じられ大混乱の中で右側通行の国となりました。チェコスロバキアとハンガリーもドイツの侵攻により同じ道を歩みます。
 
ヨーロッパ大陸で最後に残った左側通行の国がスウェーデンでした。
右側通行の隣国ノルウェー、フィンランドと無数の小道で繋がっているスウェーデンは、1967年に右側通行への切り替えを行い、ついにヨーロッパ大陸は右側通行で統一されました。これにより今でも左側通行を続けているヨーロッパの国は、島国であるイギリス、アイルランド、マルタ、キプロスのみになったのです。

スウェーデン

スウェーデンで右側通行に切り替えた日の様子
 
右側通行が勢力を広げた理由として忘れてはならないのは、アメリカの自動車メーカーであるフォードの存在です。
ヘンリーフォードが世界で初めて大量生産した大衆車という乗り物は、車の左側に運転席があり右側通行で使うのに適した設計でした。アメリカで生まれた大衆車の恩恵に預かるためには、右側通行を取り入れるのが得策でした。

フォード

フォードの左ハンドル車

 

さて、こうして世界には左側通行の国と右側通行の国が残りましたが、現在左側通行を続けている国の多くは、日本をはじめ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど周りを海に囲まれた国々です。ヨーロッパで最後に切替を行ったスウェーデンは、隣国と道がつながっているという理由があったため、巨額の税金を投入して右側通行への切り替えを行いましたが、周りを海に囲まれている国の場合には巨額の費用を投入するだけの理由も見当たりません。世界は今後も右側通行と左側通行に分かれて統一される気配は全くありません。
 
 
 

 

 
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